ニュージーランドでの生活

クライストチャーチ(南極に行く船が最後に給油する地、ニュージーランド)に永住。 日常を書く

”良い子” と ”不良”

ずっと前の日本のテレビで タモリが言ってた言葉だが・・・
「正義の剣を振り回す奴は許せん!」ってのを聞いた。

その言葉は それ以来ずっと 私の頭にこびりついている・・・。

つまり ”良い子”がよくやる手である。

★クラスの学級委員は ガキであって な〜んも世の中の辛酸も舐めていないのに 先生の受け売り つまり ”正義の剣を振り回して” ”良い子”になる。

★我家の近所に真っ白な大きな塀があって そこには 常にペンキでの落書きがしてある。

それも まるで 真っ白なキャンパスの上にメイッパイ 描いてあるって感じなのだ・・・。

オーナーがいくら又 白に塗り替えても これでもか〜! これでもか〜! って言う程すぐ 落書きが上塗りされている。

私が思うに・・・
”いいかげん 白いキャンパスは止めにしたら・・?” って思う。

誰がみても 真っ白なデカイ 白いキャンパスを見たら なんか描きたくなるでしょう・・?

★ネット世界のチャット部屋での”アラシ” ってのがいる。
つまり みんなが 和気藹々に楽しくしている部屋に 名乗り出ず 誰が誰だかわからない所に 殴りこんで来て(炸裂音とかバカでか音楽とか・・で・・) 部屋をぶち壊すのだ。

でも 私は”あらしさん” に感謝する事が よくある。

つまり みんなネットの不特定な人間の中で 楽しく遊んでいる訳で・・・。 楽しく遊ぶと言う意味では ダラダラと面白くも無い話とか ウンザリする奴がもっともらしく 部屋を牛耳っている時に限って ”あらしさん”は 出てくるのだ。

で まるで救世士のように そのウンザリ空気をぶち壊してくれるのだ。


★今朝読み終わった 芥川竜之介の”山の音”で 女遊びをし放題の夫が女を孕ませて・・妻は夫の浮気をしりつつ それをしのびながら嫁ぎ先の舅姑そしてで戻り小姑にまで尽くしつづけている。

妻が妊娠したが 彼女自身は夫への抗議の意味か勝ってに堕胎処理をしてしまう。

舅が息子 つまり嫁の夫に その事で攻めると 息子の反論として 「妻でも自由でしょう?!」 と 言う言葉が返ってきた。

芥川竜之介がその小説を書いた時代は 電化製品が普及していない時期だから かなり保守的な時代だった・・・。

つまり その息子が言う「妻でも自由でしょう?!” と言う意味が誰にでも通じるような風潮でもなかった・・・。

今でこそ 妻は ”頭にきた〜!” と言って 家を飛び出し 自活して 他に男を作って再婚って事も考えられるが その時代は そんな事を考える事すら 誰も出来ない時代だった・・・。

しかし! 私も その夫の言う事は わかるような気がする。 時代が何であれ 保守的な風潮の時代とは言え・・・ 人間生きている以上 自由はあるのだから・・・。

その ”自由” をどう使うかは その人本人の考えてある。


(これは余談かもしてないが・・・ 私は “頭にきたー! と嫁が嫁ぎ先を おん出て 他に男を作るのが 自由と言ってるのではない・・。

芥川龍之介の文学はそんな 3文テレビドラマではないのに 驚愕する。 やはり 彼の小説は“文学”なのである。 時には 哲学書と思える時もあるくらい 生きる事 生き方 を深く考えさせられる所が彼の小説には随所にある・・・。

↑の場合 舅が一番の実権者であるが 主人公の舅の物の捕らえ方がすばらしいのであるのだ。

つまり 夫(息子)のつらさ そして嫁のつらさ その周りの人間一人一人のつらさ 夫の浮気の相手である女のつらさ その女の周りにいる人間一人ひとりのつらさ 全部の細やかな人生のつらさを全部知りつつ 独断的な行動は一切しない この舅である主人公の行動に私は唸る程感動した。

芥川龍之介自身が最後に自殺したその本意を ちょっと垣間見た様な感じがした・・・。 どちらにしろ 彼は 人間の複雑な人生を 軽い家庭ドラマタッチで表現できる哲学者なのかもしれない・・・。) 


★今 私の80歳代の叔母が死のうとしている。(先日電話連絡が入った) このブログでも以前書いた 叔母だ・・。

彼女の生きる哲学は 一言に言えば ”自由” だったろう。
つまり 正義の剣を振り回す ”良い子”からみれば 彼女は”不良”だったかもしれない。

戦争直後 アメリカ兵のジープをヒッチハイクして帰ってきたら 家族中からつるし上げを食らった。

「アメリカ兵に誘拐されて・・・みんなを心配させて なに! その ヒッチハイクして来たとか悪びれもしない態度は!」 とか・・。

戦後男が全くいなくなった時代に嫁にも行けず 厄介者で生きて来た彼女が 今死のうとしている・・らしい・・。

お疲れ様としか 言う言葉しかない・・・。



”自由”イコール 正義の剣を振りかざす ”良い子”から卑下される ”不良”になるのは どうしても 納得がいかない・・・。

あくまでも ”良い子”に固執し・・ 年老いて自分を肯定すべく宗教に走ったりするよりも・・・。

“不良”でもいい ”自由”に生きて 誰も恨まずに 誰も傷つけずに 人生を終える老い方をしたいと思う・・・。
  1. 2008/06/11(水) 10:20:01|
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