ニュージーランドでの生活

クライストチャーチ(南極に行く船が最後に給油する地、ニュージーランド)に永住。 日常を書く

個人主義


↓Wikipediaより

個人主義は、個々の人間の人格の独自性と自律性[1]を重んじる立場であり、その時々に形成された場の雰囲気に流されることのない、一個人としての一貫性のある深く統合された思想と責任ある行動を高く評価する。

個人主義は、他者の拒絶や排除によって成り立つ利己主義とは異なり、自己のみならず他者の人格をも尊重することをもって初めて達成しうるものである。

他人に対するように自分を尊重し、自分に対するように他人を尊重しなければこういった考え方は十分に機能せず、エゴイズムの暴走を招くことになる。そのため高度な知性と自己統制を必要とするスタイルであるといえよう。



↑の”自己統制”とは なんぞや・・? 

私の中では ”自己確立” と いつでも呼んでいる。 
この言葉の方が ピッタリくる。 ま〜 意味的には 同じかも・・?

”個人主義” に なぜ 自分が 固執するか・・?

つまり 私は 3歳ぐらいから 野放し子供として 育った・・・ 別に捨て子ではなかったが 母親不在、 つまり 結核で何年も不在だった。 

それで父親がデハッテくるか・・? と 言うと うちの父親は 他に女漁りで忙しく・・・ 女中のみが家にはいたが それも 取り合えず雇い主不在の家だから 子供に対しては やりたい放題。

結果 自分は 女中の陰険ないじめから 逃れるべく 逃亡的生活だったような気がする。 

結果 腹が空けば 野良犬の如く 餌漁り・・・ 足は裸足・・ 戦後大分たっては いたが 田舎の子は裸足で居ても 珍しくない時代ではあった。

結果 頼れるのは自分のみ! と 言う哲学ができてしまって・・・ ひもじい思いをしないで済むには 取り合えず 自分しか信じる事は出来ない・・・ と 言う生き方だ。

ま〜 その生き方が 一つ間違えば 自己中的態度 つまり 利己主義になるのは 間違いない。

↑のWikipediaでも言ってるが・・・他も自分を尊重するように尊重しなければ 自己中を暴走して危険、 よって 高度な知性と 自己統一を要する。

問題は そこだ! 

何が”高度な知性” であり なにが”自己統一か”
これは 私が 十代後半から 考え続けていた事だ。

母親不在が 私の10代で終わりを告げる・・ つまり 普通の家庭のように 親子5人が存在するようになるが・・・ この親子5人の間の基盤は ゼロであるのに 突然普通の家族のように なれるか・・? 

というと・・・そう簡単には行かない。

赤子の時から 親子の信頼関係が 作り上げられていると言う基盤があれば いいが・・・ そうではない訳だから 突然 親だから・・・ と 言われても 私は面食らう。

結果 私の記憶によると 13歳の頃から 悶々と ”個” になる事を考え続ける。

つまり ”集団”には 属さず 取り合えず ”個” でありたい。 で ”個” である事を 許して欲しい。

”個”である事が 罪であるとしか 家族からは 言われない。

”個”である事は 社会に属する事も出来なければ とどのつまりは この世の中で生きて行く事は不可能と言う 言葉ばかりを 言われ続けた・・・。

が それから 私の人生が一変したのが 自分が日本を脱出して Londonに住むようになってからだ・・・。

子供の頃 野生児として飛び回っていた時の”自分” つまり ”自由”を その時初めて 取り戻した気分だった。

それ以後 私の心の中には ”個人主義” ”集団主義” そして ”自己確立” と 言う言葉 が 常に グルグルと周り続けている。

そして それは大人になっても 社会に出ても 同じ結果だった・・・。

つまり 日本の企業に面接に行くと・・・。

「御父さんの職業は?」(私はすでに結婚して 父親はすでに引退してるんだけど・・・) と言う反抗的心理が働く・・・。 

「ご主人には あなたが働いていいって言う許可を出したんですか?」
(私は私の意思で働くときめたんですが・・? なぜに夫の許可が必要なんですか?)と 言う反抗的心理が働く・・・。

「ご主人の職業は? ご主人の収入では足らないのですか? だから あなたが働かなければ ならないんですか?」
もう ここまで来ると 私は 面接官のデスクをひっくり返して 中指でも立てて ドアでも蹴飛ばして 出てゆきたい気分になる。

それが 私の体験した 日本企業の面接である。

結果 私にとっては アメリカの企業でしか仕事はなかった。

特に ニュージーランドに来てからは 毎日のように・・・それ等の言葉が 私の心を突き刺してくる。

つまり 私は 欧米人の”個人主義” と 日本人の”集団主義”(一概には言えないが 一般的に言えば)の違いが 毎日のように 感じられるのだ。

何をするにも 取り合えず ”自己”をハッキリ主張し・・ 相手の言い分を聞き それから 交渉が始まり 歩み寄りがあり 合意点を見つける。

買い物一つするにも その経路は必要かも・・?
ビジネスを始め それを遂行し 回して行くには その

自己主張⇒相手の主張を聞く⇒論議によるお互いの妥協点の模索⇒ビジネスの成立

と 言う経路なくして何も始まらない。 水道の蛇口の修理一つも それがスムーズに行かなければ 修理できないのだ。 自分が直せない限り ずっと壊れているのだから・・・。

ホステルを運営している私の毎日の生活には 欧米人の個人主義と 日本人の集団主義が 真っ向から 対抗しているのを 見せ付けられる。

ホステル内で何が起ころうが それは 個人個人の問題と言う事で 防犯や生活の快適さの追求は 完全に自己責任に置いてマネージしている。

つまり 細かい所では 欧米人の所有物は完全に自己責任で管理するので 共同キッチンでの食材保管は 一つの袋にまとめて 棚の奥に押し込んである。

日本人の食材は 冷蔵庫の扉を開けた 目の前にすぐ取れるように 何でも揃っている。 贅沢な食材だろうが・・・なんだろうが その人の自宅の冷蔵庫の様に 目の前に置いてある。

で 食材が無くなったら 盗まれたとして ホステル側の責任を追及する。

つまり日本の小学校の校庭が放課後一般に開放できないのは そこで子供が事故を起こしたら 誰が責任を持つか? 当然学校でしょう! って事になる。 で 当然学校側は 放課後までは 学校は責任は持てない・・・ つまり 放課後の一般開校は不可能。

責任をどこにするか? ってのが 物凄く問われる・・・ つまり 誰も責任を取れない・・・ よって 作動しない もしくは 稼動しない・・・。

それが 全て 自己責任になれば 完全に作動 もしくは 稼動可能になる。

このニュージーランドに来て いたる所に 

"......with your own risk"

って言う言葉が使われているのが・・・。
山小屋に行けば 水は雨水だよ。 それを どうやって 使うかは 自己責任によって 使え って言う事が書いてある。

でも 多分 日本では それで 雨水を飲んで病気になった人がいたら その雨水を提供した 市町村又は 国の厚生省の責任?

責任者を出せ! 

って事になる・・・。

話がそれた・・・。

つまり 欧米では ”自己責任”に置いてやれば 大体の事はOK。 つまり そこに 自由が存在する。

そして ”他人が嫌がる事”をしなければ 何でもあり! 


でも その”他人が嫌がる事” の定義は何か?
となると それは もう膨大な範囲の論議になってしまうだろう・・・。

そこは 個人個人の価値観が大きな壁になるだろうし・・・ 国柄が違えば そこに 風習・習慣・宗教等が絡んできて 個人的価値観の差等とも言ってられなくなる。

でも 私個人の考えを言わせて貰えば・・・ 欧米的な考え つまり個人主義は 物凄く 簡単 且つ 自由な気がする。

つまり 全ては自己責任でやってくれるので とても わかりやすく 付き合うのに楽なのだ。

何でも 真っ向から言って来る。 言ってくれば それはそれなりに 個人対個人で問題を解決すればいい。

取り合えず 自分の考えと言う物を相手にぶつけ 相手も 考えをぶつける。 そこで 歩み寄り点を見つけると言う具合だ。

歩み寄り地点が お互いの考えを どんなにぶつけても無い場合 どうしても 妥協点が見つからない場合 そこは それで 解決策を見つける・・・ ってのが 個人主義のやり方。

と 言う事は 取り合えずは ”自分の考え” ってのを 持っていなければ 話にならない・・・。

つまり”自己統一” って言う作業が出来てないと 何も始まらない。 

議論すら 出来ない。 

だったら お互いが考え 感じる事 妥協出来る範囲 出来ない範囲 と言うものを 完結明瞭に お互いが説明して 説得すると能力がないと 何も始まらない。

だが それは 日本人にとっては

”自己主張が強い” ”自己中心” ”和がない” ”出る釘は打たれる” と ま〜 いい事は一切ない。

取り合えず 何も言わず・・・ 周りに合わせて 周りの人達が 何をどう思っているかを 敏感に察して 出来るだけ目立たないように 生きる それが 美徳とし 社会を上手く生きて行く 人生術にもなるのだろう。

だから 議論などと言う事は 一切 タブーとされる。 議論する言葉すら 一切持ち合わせてない。

取り合えず 周りを見て判断して 周りに合わせるようにするのがベストと言う生き方だ。

それでは 私にとっては とても不都合で仕方がない。 小さい子供の頃から 周りを見渡して そして 生き抜いて来たけど・・・ 自分にとっては 周りに合わせる事が 生存する能力を身に付けられた訳ではない。 

取り合えず自分の本能のままに 動いて やってみて・・ もちろん他の人間の心を傷付けないようにするのあ 基本にあるが・・・ だからと言って 周りのみんなに あわせる言うのは もっと危険だと 言う事も同時に 学んで来た。

あえて 周りに流されず 自分の心に訊いてみて そこで感じる”ガッツ・フィーリング”に沿う決断が 自分にとっては 一番であるのは 60年近く生きてきた 自分の確固たる信念のような気がする。

日本にいる時は 家庭 学校だけが ”周り”であって それだけが 自分の生きるグラウンドか? いや 絶対に違う! と 言う事を 中学生の頃から思い続けて来た。

中学の図書館にあった 世界中のグラビア写真を眺めては この世界に行ってみたいと 思い続けて来た。

あの”世界中のグラビア写真” だけが 自分の今の生活が 全てではないと 言う 希望みたいな支えだったような気がする。

世界中を見てから 自分の考えや 生き方を決めても 遅くはないだろう。 取り合えず 自分が 周りを否定する考え方を 持ってても Okなのではないだろうか・・? と 思っていた。

自由の国のアメリカ人と1年寝食を共にし ヨーロッパの国々を回り アジアの国々も ちょっとではあるが 回り ここニュージーランドで毎日 何カ国もの若者と接する生活をしていると・・・ ここには キッパリとした 欧米人とアジア人の考えの違いを 目の当たりにさせられる。

私の感想としえは 最近(ここ20年辺り)のアジアの国々の若者は ドンドン欧米化した ”個人主義”的になって来ているのも 否めない。

特に昔欧米諸国の植民地だった アジアの国々であり 小学校からの教育が英語である所の若者は 欧米人そのもの の 主義主張の仕方であるのは 驚かさせる。

そして 反面 ほんの20歳ぐらいの日本人若者が まだまだ 集団主義 つまり 一人では不安、 周りが何をしてニュージーランドに滞在するのか?

日本から 一年分の生理用品や シャンプーを持って来ないと不安 と言うヤカラが どんなに多い事か?

日本が どんなに国際化 とか 英語力を身に付けたいと頑張っても・・ 基本的な ”個人主義”的考えを 理解しないと 何も始まらないと 思えて 仕方がない・・・。

つまり ”自己統一” するには 自分を見つめ 自分はどういう考え方で そう言う生き方をしたいか? と言う物をまず確立しなければいけないと 思う。

自分の不満や 考え方を 相手に英語で説明する作業が出来れば おのずと 自分自身の国際化 そして英語力の向上が 出来るようになると 思うのだけど・・・。


  1. 2010/08/26(木) 08:28:53|
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歳を取ると言う事


ネットで ハイピッチの声で 「18才です よろしくぅ〜」と 言った後 間髪いれずに 声のトーンを落として「ごめんなさい 嘘です。 本当は サーティーワンアイスクリーム 31歳で〜す」 と 言うと」100発100中信じてもらえる。

還暦に足が届く 今日この頃 サーティーワンで 通じるのはネットの上だけであるのを 痛感する・・・。

遠くの鏡で ひどくやつれた老婆の顔が自分であるのを 発見して ぎょっとする。 仕方がないので 化粧でもして ごまかすか〜〜 と思うが 老眼鏡を日ごろかけているので 自分の顔を 鏡を使って 近くで見ても ぼやけて 見えない・・・。

仕方ないので 5×拡大鏡ってのを 買って来て 我顔の皮膚をじっくり見ると 黒々とした 髭が 鼻の下にあり 顎にも ある・・・。 う〜〜〜む これは 髭そりでも 必要かな〜〜・・? 

顔の皮膚が全体に 下にさがってきているのが よくわかる だから ちょっと顔の両脇に指を置いて ひっぱりあげると あ〜〜ら 不思議!顔のシワが全部なくなる! 欧米人が 整形手術の事を ”フェイスリフト”と 言うが その意味がよくわかる・・・。

ショッピングセンターで 一人飯を食いつつ 人間ウォッチング・・・ ハタ! と 気付いたのが・・・ 自分より歳が行ってる人間の少ない事! つまり 私以上の人間は どこにおるのか・・?! 

つまり 私より年上の人たちは どんどん死んで行き 今残っている人達 つまり 赤ちゃん 子供 青年 中年 その辺の人間が この世の中を 司っているんだな〜〜 と 言うのを しみじみと 思い知らされる・・。

父親が 最近死んだ。 前の夫の母親がその前に 死んだ。 義理姉の親も最近死んだ。 夫の友人も 私は会った事はないが 最近死んだ。 60歳をちょっと超えただけだったらしい・・。

50代で死ぬってのは ちょっと死ぬには早いな〜と 世間は思ってくれるが・・ 60歳から以降は もう 誰でも いつでも 死んでも それは寿命って事で・・・。

後は もう 誰が死んでも 当たり前って言う年齢になるのが 現実だ。

つい最近まで 足腰が重い とか 痛いとか・・ 無気力感とかは なかった・・・。 無気力感 つまり 精神的な 死に行く準備ってのが 始まっているような気がする。 

風邪をひいても 怪我をしても すぐ完治するのが 当たり前だったのが・・ 風邪をひいても それが 命取りになりかねない年頃になってしまった・・・。

もう 2か月経っている風邪が ひどくなって来ているような・・・ 首から肩にかけてのシビレがとれないので・・ 神経の圧迫とかで手術をしたら シビレがかえって広がって おまけに 傷が疼くようになった・・・。

つまり 歳をとってからは 治らないどころか それがきっかけになって どんどん悪くなるような気がする。

つまり 体にドンドン ガタがきているって事で・・・。つまり 体も 着実に 死に行く準備をしている。

これからは オンボロ車のように だましだまし 動かして・・ どこまで 動かせるか・・ そして いつ廃車処分になってもおかしくない時期に来ているのを しかと肝に銘じて行くしか ないんだな〜〜・・ って思う。

つい最近まで 将来の事を考えて・・ と 頑張って来たが・・ 将来は もういつの間にか 消えてなくなって・・ ずっと 自分が 思い続けてきた”将来” ってのは ないのに気がついた。

今は もう その”将来”を 超えて 全ては 済んでしまったから 死にゆく準備段階に入ってしまったような気がする。

でも だからと言って 落ち込まない 自分はなんだろうか・・? 

歳をとったから スローダウンして 歳をとったから 引退して歳より仲間と老後をエンジョイしたいか? と 言うとそんな気は 一切ない・・・。

ネットで サーティーワンで通じるなら それは それで 通そう! 

バイクでぶっ飛ばせるなら 250ccぐらいのなら ビシバシ ギアチェンジをしつつ加速して オーストラリアの砂漠を突っ走る事も できるかも? 

そこら辺で事故って 白骨死体になっても それはそれで かっこい人生の締めくくりになれば うれしい・・・。  

  1. 2010/08/21(土) 00:37:48|
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