ニュージーランドでの生活

クライストチャーチ(南極に行く船が最後に給油する地、ニュージーランド)に永住。 日常を書く

ほりで〜

クイーンズタウンから 久しぶりに Sallyが クライストチャーチに遊びに来た。

↓Sallyが 言うには ブルーチーズを食べられない人は この クランベリー・ジェリーをつけて 食べると 不思議に食べられる。


↓で 不思議に すぐ ブルーチーズが 大好き!になるとの事。


ってか この日は みんな ブルーチーズが だ〜い好きな連中ばかりだから・・クランベリー・ジェリーは必要ないんだけど・・ でも! やはり これを付けて食べると 味がまろやかになって ドンドン食べられる! 


↓家のお嫁さんの姪の みきちゃん ビーチのホリデーハウスにて・・。



↓ムースも参加のほりで〜


↓農場に宿泊 コテージのドア


↓ダイニングテーブルを外にだして・・・ご馳走!(くれ〜ふぃっしゅ・イセエビ)



↓手作りの山小屋がいい。


↓デッキがあって・・ こういう小屋を私の終の棲家にしたいな〜〜・・。


↓山小屋の中にある 洗面所。 全部手作りの匂いが ぷんぷん! 歯磨きだの・・・ ちょっとした炊事もできて 相当便利な樽でした。


↓たくさんの馬車があった・・・昔は優雅に馬が引っ張っていたのだろう〜な〜・・。




↓”COLTS” と書かれている。 男の子のバスルームも山小屋


↓馬蹄他 馬車に必要な鉄がここで 作られていたのだろうな〜〜・・・ 何十年も前には・・・。


↓今にも おじいちゃんがやって来て 馬蹄打ちでも 始めそうです・・。


↓”Fillies” 女の子のバスルームも山小屋


↓どえらい木で・・・ Mikiちゃんと Mooseが小さくみえま〜す。


↓今はあじさいの時期 ピンクとブルーのアジサイの花が どっさり咲いてました・・。


↓土の匂い、 木の匂い、 緑の匂いは 体の細胞を生き返らせます。
  1. 2012/02/26(日) 17:28:05|
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無我の境地


なんとなくネットサーフをしていたら・・・
「人間嫌いですが・・直そうとしてもなおりません。 どうすればいいですか?」
と言う問いがある・・。 で その返答は・・。
「なおらないなら死ね」とか
「生きてる価値ない」とか
時々はまじめな返答で いかにその”人間嫌いを直していかに 人間を好きになれるか?”を説いていた・・・。

人間嫌いだと 生きて行くのはものすごく辛い。 
毎日毎日が 難しいのは確かだと思う。
山に篭って仙人的生活にならない限り・・。

が 私は思ったのだ・・。
人間嫌いを直そうと思っても そういう性格だから そう簡単にはなおらないと思う・・・。
じゃ〜 人間嫌いの人は死ぬしかないのか? 
いや! 死ぬ必要はないのだ・・。
人間が好きになる事もないのだから・・・。

好きでも 嫌いでもないようにすればいい・・・。

つまり ”無” になればいい。

人間同士って どうしても 敵対意識を誰かに持てば その相手はすぐそれを察知して感じてしまう・・・。
もちろん その反対もある・・ ”あ〜この人好きだ〜・・!” と思う感覚も同じく 相手がなんとなく察知する。

でも ”無” であれば 相手も 敵対意識も 持たないし・・・ 好きと言う感覚もでない訳だから 相手も何も感じない・・・。

世に言う仏教の教えの基本 ”無我の境地”に入るのだ・・。

時計の振り子が左右に振れていて・・ その振幅が大きければ大きい程 人間の心が揺れ動いている。

つまり 右に大きく振れていると ものすごく好き! 左には 全く同じ分だけの振れがものすごく嫌い となる。

好き・嫌いは相反するがこれは 反対の事ではなく 同じ事だとも言われている・・ 

つまり!

愛があ右の振り分 憎しみが左の振り分 よって 愛が深ければ深い程同じだけ 憎しみも深い..となる。

その時計の振り子の振れを静まらせて 停止させた状態が ”無”の状態になる。

人の感情は”無”にする事で すべて解決され 平安が訪れる。
が・・・ ま〜・・・ そう簡単に ”無”にはできないのが 人間の常であるが・・・。 俗世に生きる我々がそう簡単に できる事ではない。

でも でも その振り子の振りをなるべく小さくする努力をするのは 生きて行くのに ものすごい大切であり もし 振り子を鎮める力を少しでも会得できたなら・・ それは 生きて行く上で とんでもない力を発する・・・。

その人間嫌いの方も なるべく 振り子を沈めて ニュートラルの所に近づけば 周りの人も あなたを放っておいてくれて 自分も平穏に暮らせると思う・・。

犬の訓練でも それは 多く使われる・・。人間にとびついて じゃれて仕方がない・・ とか 人間をアタックするとか・・ つまり 犬の相手をすればするほど 犬はエキサイトして 悪化する。

が 人間が無視して その犬が何をしても その犬の存在自体がないフリをすれば その内 静かになって 床に寝転んで 犬はつまらなそうに そして 何もかなったようになる・・。

私のホステルで過呼吸発作を起こして ギャーギャーと 救急車を連発して わめいている人がいた。 床で転げまわっても〜 手がつけられない・・。 そして 黒山の人だかり・・・。 みんな 毛布を持ってきたり 彼女に大声でわめいて 大丈夫! 大丈夫! と も〜〜 火に油を注ぐ状態になっている。

私自身 すぐ過呼吸の発作を起こすので それは 心を沈め 紙袋をシンナーを吸う方法で呼吸をし・・ つまり酸素のとり過ぎなので 二酸化炭素を吸うことによって 鎮まるのを知っている。

だが その人は 私が何を言っても聞こえないぐらいの大声で 「救急車!」 を連発する。

私の手には負えないので 結局救急車を呼んだ。

でも 救急車が来たが 救急車隊員は
々山の人だかりを追い散らす
∋翅泙埜撞曚鬚気擦
K椰佑法仝撞曚鬚罎辰りせよ! と怒鳴り散らして・・
去って行こうとする。

本人は救急車に乗せろと懇願する・・。

とま〜 なんと 阿呆な状態になる。

救急隊員は 
「あんたは 救急車で運ぶ必要なない・・ この人(つまり私をさして)の言う事を聞けばすぐ治る」と 言い残して 去って行った。

彼女はしぶしぶ 頼る人は 私しかないと言う感じで私の言う事を聞いて その後すぐ 何事も無かったように元気になった。

黒山の人だかりの人も どの人が さっきまで重病人として倒れていた人がわからないぐらいになった・・。

つまり 人間の心(動物でも同じ)は 揺れを沈め ”無”に近づける事こそ 生きる極意かな〜〜・・ と 思うばかりだ・・・。
  1. 2012/02/14(火) 09:24:34|
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結婚と同棲の違い

結婚と同棲の違い
★結婚→法的な物・血縁へのお披露目・誓う(二人だけではなく近しい人間にも)
★同棲→法的な問題は絡まない物が多い・お披露目をしてないから自由に二人の気持ちを変えられる・誓わない


結婚も同棲も同じ事
★二人の意思を持っての生活
★二人が結婚と言う物と同じ考えを持っていれば 結婚だろうが 同棲だろうが同じ事 

さて 久しぶりに昨日友人(女・もうすぐ50才代に入る・キリスト教文化の人間)に出会った・・。

彼女は10年ぐらい前に出会った彼氏と 7〜8年付き合い 同棲し・・婚約した。 で婚約披露も派手にやった。

婚約から2年後が結婚式の予定となった。 その準備は相当な物で相当数の招待客・一生に一度の長期海外旅行がハネムーン!

が 結婚式寸前で 結婚式がキャンセル。 が! それから1年後彼等はひっそりと小さな島の教会で結婚式を挙げる。

あれから 数年 彼等は分かれた。

彼女は障害を持つ子供を育てあげた 頑張りやのシングルマザーの人生を送ってきた 私の尊敬する人間である。

その彼女が ”自分の幸せ”を見つめた 結婚だった・・から 私としてみれば 絶対に幸せになって欲しかった・・・。

昨夜彼女と話し込んだ時・・・。
離婚する理由は山ほどある・・・ が 一つだけ離婚できない理由がある・・
それは 結婚式の時 ”いかなる場合もお互い助け合ってやって行く”と神に誓った・・・ と言う。

夫婦カウンセラーの分析とアドバイスから言うと・・・
「別れるにあたって その 誓いから来る罪の意識を除いてみて?」
そう言われると 二人が一緒にいる理由は何も残らない・・・。

その罪だけで 自分の人生をすべて反故にしてしまう事はない・・・。
ゆえに 二人が一緒にいなければ成らない事はない・・・。

と言う結論になる。 かなり解りやすい・・・。

が!

彼女はなぜに・・? 離婚するにあたり かたくなに ”罪”意識を持ったのだろう・・?
なぜに ”神への誓い” ”二人の誓いを神前でする”のだろう・・?

古来昔から ”結婚”は 男と女が生活を始めて 助け合って 人間の種の反映をすると言う物であった。

で ”結婚”と 言う形は 数千年前から ほとんどが一夫一婦制にて”誓い”が入る。

つまり それは約束事で成っていて ”その時の気分”であってはならない・・ つまり 一旦誓いを立てたのであれば そこに ”罪の意識”が 存在すべくして ”結婚”と 言う物が設けられた・・・。

と 言う事は その”罪の意識”と言う物は そうやすやすと消し去っていい物だろうか・・?

数千年の昔から 宗教と言う物で・・ 人間の結婚は 何があってもわかれずにやっていかなければいけないと言うルールを作り上げてしまったのだ。 

だが 一夫多妻文化もマイナーではあるが・・ 実在した(現代でもある)のも事実だ。

日本でも 昔 村のコミュニティーセンターみたいな所に 夜になると 三々五々人々があつまり 乱交があり 子供は 誰が父親かわからない子供ばかりで・・ それも普通であり 村のコミュニティーで子供達は育てられると言う 文化も存在したのを ある書物で読んだ事がある・・。

だが 世界中の中の三大宗教は 数千年も昔から ”結婚は神前で誓い”分かれるべきではない。 いかなる理由があろうとも・・・。 と言うものである。 それは 正しいのだろうか・・?

それとも その数千年の歴史も もう現代では 通用せず 個々の価値観で生きてもいいのだろうか・・? つまり 結婚の形ではなく ”同棲”と言う形を取る。

もう一つ 私の頭に引っかかった 彼女の言葉がある・・・。
★I still love him.
★But I am not in love with him any more.

そこだ!!

彼女は”情”と言う物を長年の内に彼に持ってしまっている。
彼女は彼とラブラブではないけれど 確固たる ”愛情” と言う物はあるのだ。

人間が持つ 子供に対しても 植物とか動物とかに対しても 知人に対しても ”愛情” と言う ”情”は持つことができる。そして それはとても 貴重な物だ。

その ”情”こそ 時を重ねて築きあげて 愛しんで行く物なのかもしれない。

つまり 宗教で”結婚”と言う形を取らせるのも その”情”を無視してはいけないと言うメッセージなのかも知れない・・・。

あくまでも それは 私の意見であって・・・ほんとにそうなのかは わからない・・・。

二つの意見が 私の頭の中で交差して 止まない・・・。
  1. 2012/02/10(金) 09:58:15|
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